Cullbergbalet3
クルベリバレエ団からワークショップを終え、地下鉄を降りると、何と一日の短い事かと思う。
5時前にはアパートの辺りに帰っているのだが、あたりは真っ暗だ。
何時ものようにスーパーに寄り買い物をして、部屋に帰る。
ひと段落してから食事。
そして寝る。
朝は7時に起きて朝食をとり、8時30分には部屋を出る。
何とも平和な時間なことか。
腕のねじれを含んだストレッチに汗を流した。
先週の大学生も同じだが、どうもストレッチということを分かっていないようだ。
ストレッチは、伸ばすだけ伸ばし、これ以上無理という時点からがストレッチだ。
その伸ばすだけ伸ばす、伸びるだけ伸びる、の限界が余りにも早い。
というか、大げさに言えば、ストレッチの形をしているだけで、ストレッチはされていない。
つまり、自分は何をしているのか、自分の身体で何が起こっているのか、あるいは、起こっていないのかに対して、全く視点は向いていないということだ。
そこが不思議なところだ。
ではどこに視点が向いているのかと言えば、それは自分の幻想、つまり、頭の中の思い込みに視点が向いているのだ。
だから、身体は放ったらかし状態になっているのだ。
そんなことも含めて、話しをする。
皆、目は点になる。
それもおかしな話だ。
言葉優先、論理優先であるなら、そんなことはいくらでも考えられる筈だ。
しかし、それは考えない。
昼からは、「正面向かい合い」だ。
これはティルマンが既に教えている事なので、飲み込みが早い。
二人組から複数形、そしてランダムな向かい合い。
それらを急展開させた。ここでも「感じる」という言葉がネックになる。
感じる為に、自分の世界に入る、ということが起こるのだ。
ではなくて、今の状態から、コネクトされた状態の変化を感じ取るのだ。
何度も稽古をするうちに、自分の世界に入るのは無くなった。