年期という時間
昨日だったか、歌舞伎の中村勘三郎の復帰密着取材があった。
色々とあり、息子の勘太郎に、稽古をつけるシーンがあった。
勘三郎が手本を見せ、
「こうすれば、おお向こうから声がかかるだろう、やってごらん」
と勘太郎にふる。
勘太郎は緊張気味に、真似る。
「それじゃないやろ、でも仕方ないか」
勘三郎は、そんな目をしていたが言わなかった。
勘太郎程のエリートでも、的を絞れないのか、と驚いた。
何を見なければいけないのか。
何を真似なければいけないのか。
もちろん、それは自分で探すしかないし、見つからなければ、あるいは、的が外れていたら、それが実力だから仕方が無い。
しかし、この時、勘三郎は大事なヒントを言葉にしていた。
「こうすればおお向こうから声がかかるだろう」だ。
その為にその前がある。
つまり、台詞回しは、「おお向こうから声がかかる」にかかっていたのだ。
当然、その間だから、つまり、おお向こうは間がしっかりしていれば、声を出しやすいということだ。
それをその時見抜けなかった勘太郎。
やはり年期という時間は、短縮出来ないものなのだろう。