やり続けたらどうなるの

一つの事をずっと続けてやっていったらどうなるのですか?それは何の役に立つのですか?若い女性からの質問だった。
ずっとやり続けているから、今の自分、私があり、それはどこへ行くのか分からないから、やり続ける。
科学の仮説の検証と同じだ。
どうなるか分からない、そこにこそロマンがある。
どうなるか分かる。
つまり、結論が分かっているのなら、何もやり続ける必要など無い。
答えがあるのだから。
「どうなるか分からないのは、不安じゃないのですか」
不安だからこそ、安心を求めてやり続けるとも言える。
もちろん、それは言葉のあやで、私に不安など無い。
ただ、この場合の不安は、やり続けていることに対しての不安は?ではなく、世間一般の「生活の安定」というところでの不安なのだろう。
そんなことに不安を持つようでは、何もやり続ける事等できない。
ずっとやり続けているから今の私がある。
当たり前の事なのだが、では今の私をその人は見ぬけていたのだろうか。
と言えば、そうではない。
だから、「~どうなるのですか」と当事者をすっ飛ばした質問になるのだ。
何の役に立つのか?目に見えているレベルで役に立つような事等、重要な事でも何でもない。
しかし、この女性に限らず、大方の人は目先の得だけを求める。
何と貧しい事か。
しかし、根本的にはこの質問の意味は分からない。
何を知りたく、何を求めての質問なのか。
しかし、当人には明確な意味がある。
「興味があるのです」だ。
では、その質問に対して私が答えた答えは理解出来るのだろうか。
出来る筈も無い無いだろう。
興味があるだけなのだから。
一つの事をやり続けている訳でもなく、それを置き換えられる体験も持ち合わせていないということだ。
ただ、言葉としては色々と展開出来るから、そうしているだけだ。
「もっと人生体験を踏んで、悩んで泣いて、それからやで」最後にアドバイス。
しかし、その言葉も分からないのだろうな、と思った。

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