言葉で見る

外国の人は、私の建てた道場に興味を持つ。
それは、自分で家をやり直したり、それこそ自分で建てたりするからだ。
それら全部我流だそうだ。
もちろん、私もバリバリの我流だ。
専門の人がやるのを見て覚え、電気の配線までやってしまう。
先日、武禅に参加していたフランスに住む日本人の友達も、自分で家を建てているという。
家を建てているフランス人も、友人の専門家がやるのを見て覚えるという。
もちろん、人にもよるが外国の人は、ダンスの振り付けや武道の型を覚えるのが早い。
その理由は、日常的に何かこういった、見て覚えるというのがあるからではないか、という話で盛り上がった。
しかし、よく考えてみると、実は日本人の方がそういった事が得意な筈だ。
「見習い」や「看取り稽古」という言葉があるくらいだから。
しかし、現実には多くの人は言葉で見る。
言葉で見るというのは、動きを自分の頭で翻訳し言葉に置き換えてしまうということだ。
その事が二重手間になるばかりか、抜け落ちる点や全体イメージを捉えられなくしてしまうのだ。
説明するのが上手くなったことの弊害は、そんなところにも現れている。

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