問題は他に
行の開始前、皆でお茶を飲む。
その時に、初めて参加する人には、その目的を改めて聞くことにしている。
そこでの話は、自分にとっての問題の話になる。
そんな会話を武禅の度に繰り返している。
そこで何時も指摘するのは、それは問題ではない、ということだ。
例えば、「正面向かい合いをする」というセクションの時、出来ないことが問題なのではなく、「ちゃんとやらなければ」とか「間違わないようにしなければ」というような意識。
あるいは、「正面に向おう」とか「正面を感じなければ」というような意識が発生する。
そういった実際にやらなければならないこと、以外のことが意識に上がることが、根本的な問題である。
どうして、やらなければならないことをやらずに、全く関係の無いことが意識に上がるのか。
それは、自意識が過剰だからだ。
つまり、他人から「こう見られたい」「こう見られたら嫌だ」という、子供の頃や思春期の頃の自意識過剰さが、未だ成長していないということだ。
それがどっしりと潜在的に自分の中に根を下ろしているのだ。
「ちゃんとやらねば」と思うのであれば、実際にちゃんとすれば良いだけだ。
では、ちゃんとするというのは、どういうことなのか?
そここそが実際の作業になるところだ。
しかし、そこを自分で突っ込んでいないので、具体的にどうすれば良いのかが選択出来ないのだ。
しかし、職場での仕事や友人同士の何かであれば、無意識的に、つまり、自分にとって自然にやれている筈だ。
では、どうしてその時だけ特別になるのか。
そして、どうして職場や友人同士であればそうならないのか。
そこを各自で突っ込んで欲しいところだ。