レポートを読む
武禅が終わり、144枚の皆が書いたレポートを読んでいる。
レポートは、その人を表しているから何時も興味深く読む。
何を混乱しているのか、何が混乱させているのか、をである。
また、レポートはかなり複雑な構造を持っている。
一つは、体験したことの覚書き、一つは、感想、一つは体感したことの言葉化、一つは、私が読むという前提があるから、表現、一つは、自分が読み返すから、自分への表現、等々だ。
もちろん、そのことを知ったから、あるいは意識したからといっても、何もどうにもならない。
それらの要素は、自分が生きている、自分が社会で生活をしている、という現実での構造と同じだ。
それらをどれだけ自分が、社会体験、あるいは人生体験の中で認知しているか、してきたか、が、自分の人間的実力の基礎となる。
そんなことを、レポート一枚一枚から読み解いていく。
まるでCSIだ。
もちろん、そんな構造のことは学校では教えてはくれないし、殆どの人が口にしない。
そんなことに気付くかどうかしかない。
もちろん、大方の人は無意識的にそれらのことをやっている。
しかし、日常が忙しいのでそこまで解析しないだけだ。
私は一つの事をやれるようになりたいと欲求した時、やれるまでやる。
そこに時間的制限を加えない。
だから、やれるようになり、そのことから、こんなことを考えるようになっただけだ。