会話のできる大人に

こうすれば、より平易に理解できるだろう、理解できる人が増えるだろうと、稽古方法を編み出し提示する。
しかし、結局は「それも難しい」という現状を体験する。
「では、どうすれば」それを限界まで考える。
それが私の毎日でもある。

「では、どうすれば」を突き詰めて行くと、前提として「このことは子供の頃に体験していなければならない」という所まで行く。
そうなると、子供の頃の生活環境が問題になる。
もちろん、例えば40歳の人が10歳に戻る事は出来ない。

昨日、懇意にして貰っている内科医の原田先生とお茶をした。
その時、お子さんの話になった。
どう育てるのが、大人になった時分け隔てなく会話の出来る人になるか、を話していた。
私は落語を聞かせるのがええで、特に桂枝雀やったらオーバーアクションやから笑うかも、と前に提案していた。

それを実行したところ、お子さんのツボにはまったようで、大笑いで、毎日の寝る前の日課になっているそうだ。
では、何故それほどまでにお子さんに受けたのか?
演者と観客との空気感か。
色々と考えたが、お子さんは自分に語りかけられていると感じているのではないか、というところを結論とした。

ここからが大事なところだ。
親は子供に語りかけていないのではないか、だ。
親は子供に指示を出すが、殆ど語りかける事はしていないという結論だ。
当然、「話す・聴くという関係」が育つ筈もない。
自分の言いたい事をいうだけで、すれ違っている会話だらけの現状は、こうして作られたのだろう。

 

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