感覚という能力はすごい

感覚や感触は、言葉としてはどこにでもあるが、実際に特定した稽古をすると、それが明確ではない事を発見出来る。
そんな時、「これは誰の身体ですか?」と質問する。
それくらい、多くの人にとっては曖昧なのだ。

もちろん、だからといって日常生活に不便があるのではないし、長い人生においても何ら支障はない筈だ。
筈だというのは、そのことに焦点をあてて、何かを検証したという話を聞いた事が無いからだ。

私がこの感覚に焦点を当てたキッカケは怪我だ。

30年程前に足を尖った御影石で切った。
その時に「痛い」という感覚があった。
当たり前の事だ。

だが、私が「あれっ」と思ったのは、その「痛い」は患部の痛いではなく、印象としての「痛い」ではないか、という疑いだ。
それは、その「痛い」で、身体全体が固まってしまっていたからだ。

だから、改めて怪我の場所を特定しようと、身体を感覚を通して探ったのだ。
当たり前だが、目では長靴が裂け、靴の中が血の海でチャプチャプしているのが見えるし体感している。
しかし、そうではなく、つまり、目や血を体感している視点ではなく、内感覚で身体を探っていったのだ。

そうすると、裂けた足の一点というか、その箇所が明確になり、痛みもその箇所だけになったことが、身体に対する感覚の曖昧さに気付いた体験だ。
そして、その時の印象が身体を支配しているということを知ったのだ。

それが、感覚を明確にしていくと、身体が活性化するのではないか、という発想になり、感覚や感触を追求するようになったのだ。
ワークショップでは、この「感覚や感触」を明確にする事で起こる「身体の不思議」も体感して行く。
何よりも、この感覚や感触が「関係」の鍵になるのだ。

東京ワークショップ12月4,5,6日

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