言うたもの勝ちの日本
子供の頃から、年の離れた人たちも混じっての遊び。
今になると、これが大事だと思う。
一緒くらいか下の者なら話せるが、年上となるとチョット構えてしまう。
それが小学生だ。
10代の時は、住み込みで働いたりしていたから、当然40代や50代の人もいた。
そういった環境での会話が、「誰とでも話せる」自分を作る。
同い年、あるいは、同じ職場や部署の人としか話していない人は、見ず知らずの人と会話をするのが苦手の筈だ。
もちろん、それは数勝負のようなもので、体験を積まなければ会話の機微を獲得出来ない。
昨日は特養の研修で、終わってから常務と食事に行った。
「先生、食に誘ったら『食事を食べに行くこと』だと思っている人が沢山いますね。それを先日知りました」という話になった。
それであれば「お酒を飲もう」というと、文字通りの事だと思っている人も沢山いるのだろう。
ある意味で仕方がないのだろうと思う。
文字通り、を教育されて育っており、その職場職場、あるいは、職種の中で通じる常識がある。
この「食事に行こう」も「お酒を飲みに」も、チョット話があるから、という意味だ。
きっと若い人は、では「チョット話があるから」といえばいいではないか」と思うだろう。
では上役や目上の人から「チョット話があるから」といわれたら身構えるだろう。
それをそうならないように「ざっくばらんに」話をしよう、という意味が含まれており「飲みに」となるのだ。
とは言っても、近頃の若い人で飲まない人は多い。
もちろん、それが悪いのではない。
しかし、それは「ざっくばらん」という状態での、面白い話ためになる話、あるいは、仕事のアドバイス等を聞けるチャンスを失ったということだ。
しかし、世の中はパワハラだのいじめだのと、定規不明の犯罪もどきが多い。
つまり、「言うたもの勝ち」の世の中だから、うかつに誘えないという裏事情もある。
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東京11月28,29,30日12月1日
東京・岡山・沖縄