リヨンからパリへ

リヨンからパリに戻った。
何だかずっと列車に乗っているようだ。
多動児だから、これが適正なのかもしれないが。
その意味ではドラムも向いていたのだろう。

「この子は、ちょっともじっとしてへん」と何時も何時も祖々母に言われていた。
昔は、これだけだ。レッテルを貼る等どこにも無かった。
じっとしているのが辛い人間にとって、12時間のフライトは拷問に等しい。
もちろん、4時間の列車の旅も同様だ。
直ぐに貧乏揺すりが始まる。
しかし、これで中和させなければ、発狂するかも知れないのだ。
身体中がムズムズしてくるからだ。

ドラムが適正だとしても、それを練習するには、相当じっとしていなければならない。
もちろん、椅子の上でだが。
当初は、当たり前だが手も足も思うように動く筈もない。
と振り返ってみた時に、何時叩けるようになったのかは覚えていない事に気付いた。

それは、本番のステージでリズムの形の優しいラテンの曲などを叩かせて貰っていたからだろう。
現在のように、練習(学校・専門学校)→一通り叩けるようになる→本番、あるいはプロへ、という道筋ではなく、当時はプロの世界の中に練習と本番が同時にあったのだ。
それが良かったのだろうと思う。
本番のプレッシャーを、簡単に潜り抜けられたのは、このシステムのおかげだ。

そして、アマチュア時代が無い事が一番良かったと思う。
そういえば、他の職業も同じだ。
いきなりプロであり、プロの見習いからだった。
きっと、これも人間そのものをプロにするシステムなのだろうと思う。

だから、「プロ」という意識は、完全に身に付いているから、何をしても私にとっての最低レベルはそこなのだ。
これは、残念ながら体感して育てていくしかない。

今日はパリで夜だけの稽古だ。
朝目が覚めると、何か変だった。
風邪だ。夜まで稽古が無いから寝てやろうと思い、お昼過ぎまで寝ていた。
シャツも3重に着ていたので汗もそこそこ出た。
まだ、スッキリはしないけど、朝よりも遥かにましだ。
これなら夜の稽古に間に合うだろう。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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