気持ちが入った作品
コンサートを記念してクリアファイルを作った。
デザイナーが力を入れてくれたので、素晴らしい出来上がりになった。
デザイナーが「力を入れて」と書いたが、気持ちが入ったという事だ。
もちろん、誰にでも分かっている事だ。
気持ちが入っているのと、入っていないのと。
それは全く異なったものになるという事だ。
それは、こういった作品というか、何か創作したものだから、ということではない。
それこそ、人生に自分の気持ちが入っているのかいないのかで、人生が全く変わるということだ。
自分の人生に気持ちが入っていない、とはおかしな話だが、そういった人は多い。
それこそ「生きさせられている人」だ。
「何かの為に」という理由や意味を持つ人だ。
自分自身が生きているのだから、当然気持ちが入る。
でなければ、その人生はスカスカだ。
あるドキュメンタリーで写真家に密着していた。
相当深い言葉を使うが、その内容は薄っぺらく、「何を言うてるの、このおっさん」という感じだ。
例えば「悠久の歴史を」といえば、そこに壮大なロマンを想像する。
それは大自然のロマンなのか、生物のロマンなのか、そういったことは別にして、そこから何を引き出すのだろう、と興味が湧く。
しかし、そこに提示された写真は、ただのスナップだ。
顔を見ていても、全く「悠久の歴史」という言葉が似合わないのだ。
他人の言葉であって、自分の言葉に昇華されていない、単なる思い込みだ。
人生に気持ちが入っておらず、思い込みに気持ちが入っているだけだ。
それこそ音楽は「気持ち」がベースだ。
音の根源に対しての気持ち、演奏に対しての気持ち、観客に対しての気持ち、そして、今回なら共演者の出す音に対しての気持ち。
それらが、パチっと合わさった時、素晴らしい時間が現われるのだ。
もちろん、今回のコンサートでは、それを現す。
明日は何時も自分の言葉でしか話さない、デザイナーの皆川明さんと会うことになっている。
ヨーロッパでの仕事の直前に、コンサートに向けての言葉を書いてくれたお礼に行くのだ。
だから、残念ながら皆川さんは、コンサートには来られない。
皆川さんとの話は、何時も何かしらの示唆をもらう。
嬉しくありがたい時間である。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ