内田裕也さんご冥福をお祈りします
ロッカーの内田裕也さんが亡くなられた。
裕也さんの名は、16.7の頃に知った。
友人がバーテンで働いていた店のオーナーが、裕也さんと高校の頃の同級生だったからだ。
同時に、道頓堀にあった「ナンバ一番」という、当時のジャズ喫茶(ロック喫茶)に出演していたので、大きな看板で知っていた。
まさか、私が音楽の世界に行くとは、夢にも思っていなかった時期だ。
この辺りから、グループサウンドという名前があふれ出したがまだ長髪はいなかった。
その明くる年、17歳の時、ビートルズが来日し、東京武道館まで見にいった。
私にとってロック、ロックンロールは10歳の頃に、ラジオから流れて来たプレスリーやポール・アンカだ。
何れにしても、自覚はなかったが、音楽の世界に入るのは当然だったのかもしれない。
プレスリーの次はベンチャーズで、続いてビートルズと、その時代の最先端の洗礼を浴びていたからだ。
ツゥイストを踊り、サーフィンやステップダンスをダンスホールへ踊りに行った。
当時のダンス・ホールは、ガキにとっては恐喝をされる場のようなものだった。
でも性懲りも無く足を運んだ。
いわゆる「不良」だ。
それから2年足らずでジャズの世界に入ったのだから、入るべくして入ったということだろう。
私は裕也さんよりも、尾藤イサオの方が好きだった。
彼の声と踊りが好きで、とにかく真似をしていたのを思い出す。
内田裕也さんのご冥福をお祈りします。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ
10年前のコンサートで