目指せ、物分かりの悪い爺

「これ、ほんまにええんか?」と思う事もあれば「やっぱり凄い」と思う事も有る。

歴史に残る名曲とされるクラシック音楽を聞き「これ、ほんまに名曲か?」と思う。
もちろん、そう感じたのは「私」であって、名曲とされる、そのものとは何の関係もない。
しかし、その名曲を聴いたから、私の感受性が「ほんまに名曲か」とはじき出したのだ。

そういう違和感を感じた時、二つの道を通る事にしている。
一つは、自分の感受性を疑う。
一つは、名曲ではないという根拠を徹底的に探す。
この二つの作業を行うのだ。

自分の感受性を疑った時、自分の持つ良いとしている音楽を改めて検証することから始める。
もちろん、こればかりは誰にとっても主観でしかない。
だから、正しいも間違っているも無い。
しかし、自分としての価値観のブレを無くしたい。
だから、検証するのだ。
とは言っても、その検証すら主観なのだから、何ら客観性は無い。
という、これも遊びだ。

私はゲームというものをした事がない。
ゲームと言えば、インベーダーゲーム機で大儲けをした友人がいた。
その時に見せて貰ったが、何が面白いのか分からなかった。
これも私の主観だ。
だから、インベーダーゲームと何の関係もない。

しかし、こんな時も、「何が面白くないのか」と自分自身の主観を掘り下げてみるのだ。
という遊びが、私にとっては面白いのだ。

「自分が面白いと感じていなければ、やっていることはカス」だ。
その意味では、ゲームを面白いとしている人は最高だ。

名曲ではない根拠、これを探すのは本当に面白い。
そういう性癖を持つ私は、やっぱり根っからの天邪鬼なのだろうと得心する。
歳を取るほどに、ここをもっと徹底してやろうと思う。
いわゆる、物分かりの悪い爺だ。
目指せ、物分かりの悪い爺!

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