(無題)

大晦日になってしまった。
「何が?」暦やカレンダーが。
私自身は、何のこっちゃだ。
子供の頃は「明日になればお年玉を貰える」あるいは「ご馳走を食べられる」という思いで一杯だった。

しかし、節季というものと共に体感出来ていれば、あるいは、そこを大事に生きていれば、また、神事と共に生きていれば、こういった節変わりが身に付いていただろうにと思う。
その意味で、育った家や環境によって文化の継承はままならないのだ。

文化という側面を生きているのだからと思うが、身に付いていないことには違和感が先に立ってしまう。
これも、私の悪いところなのだろう。
結局、自分自身で蓋をし、理屈を講じて閉じてしまっているのだから。

こんなことは、「フリー」ということに拘り演奏して来た現役時代に気付いた筈なのに。
「フリーに拘っているのだから、俺自身はフリーじゃないやろ」と、考えを一挙にレベルアップさせたのだ。
これで、どれだけ音楽の深さが出たかしれない。

私自身を「真っ新」にしてやろうとは思うし、そこへ向かって生きている。
しかし、その前に立ちはだかる幼い自意識と、まず戦わなければならない。
幼い自分は、きっと「わたし」を形成する様々な要素の中で、一番強固なのだろうと実感する。
そうなると、逆に幼い自意識という分類や分析は、どうだってええかだ。
それは、気付いた時になんとかすればよいだろう。

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