一度忘れると次は
屋根を見る度に修理の方向性が変わる。
「その時は気づかなかったが」というパターンだ。
その意味で、時間が必要になる。
というよりも、「一度忘れる」というのが必要なのだ。
一度忘れると、頭が自動的に整理してくれるから、新鮮な視点を生み出してくれるのだ。
これは、稽古も同じ、身体運動を覚えるのも同じ、多分、記憶も同じなのだろう。
身体を使う技術も、忘れる事が重要だ。
その意味で、真面目腐ってやり続けるのはマイナスだ。
もちろん、「忘れるのは怖い」が、忘れなければ進歩しないのだ。
としたら、「忘れる」ということを間違ったことだと捉えてしまっていることこそこそ間違いだ。
しかし、この忘れることと、いわゆる「物忘れ」は別物ではないかと考える。
脳科学がどんどん進化しているから、きっとそんなことも解明してくれるのだろう。
私の道場でも、ワークショップでもどんどんメニューを進める。
色々なアプローチをするのだ。
そうすると、一番最初に「難しい」と思ったものが、スッと出来ていたりする。
それは、「忘れる」のと多分同じ理屈なのではないかと思う。
だから「全く別の事も色々しなかったら駄目」というのだ。