感情しか心に届かない

前に、沖縄ワークショップでの出来事で、アメリカン・ビレッジで酔っ払ったアメリカ人の若者に、グラスを投げ付けられた事を書いた。
それは、若者の一人を捕まえ、たまたま見回りをしていたMPに引き渡して事件は終わった。

グラスは私の顔をかすめて、駐車場に落ち割れた。
割れた音を聞いたからグラスだと分かったのだ。
投げた若者と、私との距離が少しあったので、私はお酒も入っていたから追いかけるのは無理だと判断した。
代わりに、その時私の横にいたワークショップを手伝ってくれている男性が追いかけ捕まえたものだ。

180㎝以上ある若者だった。
「こら!お前は何をしたんじゃ、ボケ」と日本語で怒鳴りながら、その若者の胸ぐらを掴み上げた。
若者は大泣きをして座り込んだ。

これは私の感情だ。
真剣にその若者に対しているからの感情だ。
「あなたの行為は、これこれこれだから危険で、だから駄目な行為です。警察へ行きましょうか」という事で治るのだろうか。
もちろん、事件としては治るだろう。

しかし、その若者の心に刻まれる何かはあるだろうか。
若者の心が響くような、つまり、危険な行為をしたら駄目だ、という事が刻まれるだろうか、ということだ。

昔、友人の奧さんに娘さんの事を相談された事がある。
夜の帰宅時間が遅い、いくら言っても聞かないけど、どうしたら良いでしょう、というものだ。
そんな事は簡単だ。
遅く帰った時、怒り狂ってお皿でも壁に投げて木っ端微塵に割ったらええよ、とアドバイスした。
お母さんはそれを実行したら、夜の帰宅時間は早くなった。

その娘さんは、今では3人のお母さんであり女医さんになっている。
その時の話をすると、あれにはビックリした、お母さん本気なんやと思った、と笑いながら思い出話をしてくれた。

感情→本気→響く、という図式だ。

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