謎解きゲームだと
今回の福岡ワークショップを受講してくれていた、プロ選手相手のトレーナーが嬉しい報告をしてくれた。
名前は聞いていないが、あるプロ野球の投手に「胸骨操作」他、私のワークを教えたところ、球速が5㎞速くなったという。
チームメイトは驚きトレーニング方法を聞かれたそうだ。私は「今通っているジムに最新のトレーニングマシンが有る。と言っておけ」と二人で笑った。
「方法は無い」という台詞は、私の定番だ。
道場でもworkshopでもこの言葉が基本的な考え方としてある。
「自分の肘を一点で感じる」為にどんな方法があるのか?だ。
想像通り、あるいは言葉通り感じれば良いだけだ。
そして「感じ取れている証拠としての動き」がある。
それが一般的には武道の「技」の様に見える。だから「方法は」となるのかもしれない。
しかし、ここで大事な事は、方法だとするならば、方法を知ることではなく、方法に気づくことだ。
自分なりのものをである。
しかし、巷では「方法」花盛りだ。本であれ動画であれ、講座、セミナー等々。
スポーツであれ文化であれ、とにかく無いものを探すのに苦労するくらい「方法」が溢れている。
そのどれもが正しい。
しかし、そこにレベルがあるから、それを分かっていなければ選択を誤る。
もちろん、今日の昼ご飯は何を作ろう、というのを考えるよりも、本を見るだけ、あるいはネットで探して済ましてしまってもよい。
しかし、自分がやろうとしていることを、謎解きだと思えば良い。
自分の身体を通しての謎解きで有り、自分にしか解けない謎解きだと考えれば良いのだ。
私は、むしろこの方向で楽しんでいるのだと思う。