その状況で考え抜くと
妻が稽古着の上着を縫ってくれた。
25.6年ほど前はピシッとした洋服を買うお金がなかった。
だから、講演や研修を頼まれた時、何時も作務衣だった。
作務衣だと、「そんな人」という印象があるので、どれだけ安い生地でも、男性には分からないからだ。
道場を建てるのにお金を稼いだが、それは全部道場に消えてしまった。
道場建設の為の費用の一端を担っていたのは、大衆演劇の役者達の衣装作りだった。
その時に、着物を縫ったり、早変わりの工夫を凝らしたり、ありとあらゆる珍しい、奇抜、あるいは豪華な衣装を作り上げた。
スパンコールで作った打ち掛け。
そこに色とりどりのスパンコールでパーツを作り、背中に歌舞伎絵を立体的に作り上げた。
ハードロックのように、鋲を打った皮の着物。
エナメルの着物。
妻と二人で考えた衣装は、大衆演劇の世界で爆発的に支持された。
私が動けるから、動きやすいかそうではないか、が分かる事も支持された原因でもある。
衣装屋さんとは、全く違う発想だからだ。
おかげで、道場を建てるのに一役かった。
その時々で出会う状況。
その状況の中で考え抜く。
そうするとアイディアが湧いてくる。
そんな体験を山ほどしている。
それもこれも、会社で働かず、別段事業も起こさず、武道だけを追求したかったからだ。
1つのことを、やり通してしまうには、現実的に相当の壁がある。
しかし、それは、1つの事をやり通す為の力を付ける為のものでもある。
やり通す集中力に必要不可欠の力だ。
だから、同時に生活をする、生きるという強さが育まれるのだ。
好きなことだけを、あるいは、これだけをやろうとした時、当たり前だが同時に現実の生活もある。
そこで生まれる工夫をする力は、好きなこと、やろうとすることの下支えになるのだ。