何をしているのか

水出し失敗。
水源地は一応救ったが、パイプのカバーが土砂や流れてきた石で、完全に壊れていた。
パイプに応急処置をし、パイプとホースを繋ぎ、水出しをした。
沢を降りていくと、パイプの継ぎ目から少し水が漏れていた。
継ぎ目が緩んでいるのだ。
この水圧では、必ず外れると踏み緩んだところを締め直した。
しかし、ホースそのものが継ぎ目の器具から抜けかけているのが見えた。
そこから冬の水遊びの如くボタボタになりながら悪戦苦闘。
最後は妻を動員したが無理。
明朝やり直すということで、今日は近場の温泉へ。

他人の価値観は分からないという話。
例えば、ゴッホの絵を好きだと誰かが言ったとしよう。
それを私が聞いたとしよう。
ゴッホの絵が好きなら、この人の絵を好きなレベルとはどれほどのものだろう、と好奇心を持つ。
私は好奇心をもったまま、その誰かを頭に止めておく。

時間が経ち、たまたま街で会ったとする。
その時、その誰かは、絵を美術館に見に行ってきたという。
そうすると、前の「ゴッホ」と辻褄が合う。
で、「誰の絵だったのですか」となり、相手の答えを聞き出す。
「浮世絵を見てきたのです」と答えたとする。

そうすると、ゴッホと浮世絵を好きという事が分かる。
ここからが大事なところだ。
どのレベルの視点を持っているのか、を探り出さなければ、この二つの違った絵に価値を認めるその人が見えてこないからだ。
もちろん、その誰かに特別興味があるのではない。
私は額普通に、こういった作業を繰り返しているだけだ。
その人の情報が集まってくると、それらが「何で共通するのか」を考えるのに有効なのだ。
もちろん、それが分かったからといっても何もない。
ただ、その人の深さを測ることが出来るだけだ。

大方は、単に好きなだけだ。
それは、ファッションと同じ、あるいは、巷の流行に左右されているのと同じだ。
いわゆる「自分が無い」という状態だ。
だから「自分探し」をし、色々と情報を集めるのだろう。
私はそんなことより、この例のように自分で考えるテーマを作り、勝手に考えている方が良い。
だから、私の持っている情報量は、恐ろしく少ない。
必要ないからだ。
仲間の鍼灸師が「日野さんは、興味のある事以外は本当に興味が無いのですね、その落差が大きすぎて勘狂います」と笑っていた。

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