自己防衛本能の誤作動2

もうすぐ羽田に、そして沖縄へ。
沖縄春のワーク・ショップに出発だ。

自己防衛本能というのは、もちろん、自分を守る為に働く本能だ。
しかし、何を守るのかだ。
私は「生命」だと思っている。
だから、その生命に危機が及ばない限り、防衛本能は発動しない。

昔、ビジネス絡みの人達と飲んでいた。
一人が「日野さん、後ろから殴られそうになったら、何か分かるのですか?」と新聞紙を丸めて持ち質問された。
「もちろん、何か違和感が働いたら行動しますよ」と答えた。
すると、そのビジネスマンが「私がいきなり後ろから殴っても避けられるのですか?」
というから「いいえ、私はあなたに殴りかかっても、避けられませんよ」
「えっ、じゃあ私に殴られるのですか」
「そうです、あなたは私を殴りたいのですか、一体何を試したいのですか」
「いや、日野さんは気配を感じて避けるというのを」
「あなたに私に危害を加える気配が無いから、それは出来ません」
「……」
「何か勘違いしていませんか。気配というのは幻でも夢でもありませんよ、本当にその気の人でなければ、そんなものは発生しませんから」
そんなやりとりをした事がある。

本当に危害を加える人、不審な人、これには間違いなく反応する。
ただ、ずっと書いているように判断を働かせると反応はしない。
ここが難しいところなのだ。

大方の人の自己防衛本能の誤作動は、そういった生命のことではなく、自分自身を否定されたり、意見の対立のような、生命とは関係のないどうでも良いようなところで起こしているのだ。
どうでも良い、というのは、それぞれの持つ人為的な価値観に対するものだ。
そして、そんなところにプライドというか、誇りというかを持ち出すから、余計にやっかいなのだ。
先程のビジネスマンに、私が後ろから新聞紙を丸めたもので殴られたとしよう。
それが、私全体と一体どんな関係があるのだろう。
それで、私のプライドが傷つくのか。
私の人生はグチャグチャになるのか。
何一つ関係なく、私は日常を過ごしているだろう。

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