一人で生きているのではない
「その事」に対して、どれだけの時間を費やすのか、費やせてしまったのかが、自分自身の実力と正比例する。
当たり前の事だ。
区切られた時間しか「その事」に携わっていなければ、区切られた時間外でも、その事を考えヒントを探している人とは差がついて当たり前だ。
つまり、当たり前の事を生きているのか、そうでないのかの違いは現れるということだ。
こんな事は、時代がいくら変わろうが変わる事はない。
「楽して生きる」とした時、何が楽なのかの価値判断をどう持っているのかが決定する。
ここには「好きこそものの上手なれ」という言葉が当てはまるだろうし、逆に「下手の横好き」という事も当てはまるだろう。
しかし、この真逆の言葉でも、当人にとってはどうでも良いことだ。
他人は「もう止めたら」と思っても、当人が「楽しい」のであれば、それが一番だ。
ただ、ここでもう一つの条件が出てきて、「もう止めたら」という意見が、何かしらの集団の中でのこと、つまり、自分は「楽しい」が、周りが「迷惑する」という事であれば、周りの迷惑を見抜けなければならない。
人は常にそういった状況の中で生きているのだ。
決して「一人ではない」のだ。