他人を無視して生きている

「うっとおしい顔」を見ると、うっとおしくなってしまう。
街で、前から来る女性、男性、うっとおしい顔をしていると、こちらまでうっとおしくなる。
さっきもそうだった。
歩道橋を上から歩いてきた女性。
世の中の不幸を一身に背負っているような、うっとおしい顔だった。
思わず「何があったの?」と言いかけた。

うっとおしい顔と、不平不満を持つ人の顔は似ている。
どちらも、そういう顔の人がいる職場や家庭は、さぞかし暗いだろうと思う。
仕事に集中できないだろうし、家庭なら家族はストレスが溜まるだろう。
その顔には、誰も話しかけたくないからだ。
但し、これは意図的に話しかけたくないというのではなく、無意識的にそうなるのだ。
それが講じてくると、意図的に声をかけなくなる。

もちろん、これは顔の作りの話ではない。
その人の雰囲気だ。
そしてそれは、その人の考え方が作り出していることだ。
店員さんや営業の人でも同じだ。
うっとおしい顔、うっとおしい話し方、それでは客はイラつくしうっとおしくなる。

早朝、眠気眼をこすりながら、朝食のパンを買いに店に入る。
「いらっしゃいませ〜」と元気の良い声、元気な顔が迎えてくれると、こちらまで元気になる。
思わず「元気がいいね、ありがとう目が覚めたよ」と返してしまう。

その人は、客にそう言ってもらいたいから「いらっしゃいませ〜」と言ったのではない。
そう「出てしまった」のだ。
同じ様に、うっとおしい顔も「そう出てしまった」のだ。
だから、他人から指摘されても分からないのだ。

同様に、表情のない顔、反応のない顔もうっとおしい。
これらの顔の人は、当人がどう思っているのかは知らないが、完全に「他人を無視している」のだ。
あるいは、他人と一緒に生きているということを知らないのかもしれないが。

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