言われたことが出来るのは
大阪のワークショップ。
近辺の方、また汗をかきましょう。
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop
10年ほど前、教室に女子大学生が受講していた。
ワークショップにも顔を出し、舞踊学科に在籍していた。
基本的な「捻じれ」をやり、胴体部分が動かないように気をつけること、と注意をした。
もちろん、言われた事をやった。
実は、それに驚いたのだ。
というと「????」になるだろう。
しかし、それまでに、こちらの指示通りにやった人を見たことが無かったからだ。
精々、フォーサイスカンパニーの数人だけだった。
その女子大生に「ちゃんと、やっているね」というと、「言われたことだから」と、別段何も特別な事をしているのではない、という風だった。
だから、もう一つ驚いたのだ。
それ以来、言われた事を「する→出来る」という当たり前の事には、数人しか出逢っていない。
「明鏡塾」を受講する、今年25歳の理学療法士は「言われたことしかやっていない」とこともなげに言う。
その彼の感想文に「最近臨床では、『先生の手は本当に温かいわね。指先から何か出てるわね。』と嬉しい感想を多くいただく。そんなところから信頼は生まれるのだと感じる。一見見落としてしまうような部分であるが関係なくしてその人のリハビリは進まない。
関係ができるからこそ知識・技術が活きる。または、関係できるからこそ必要な知識・技術がわかってくるのではないかと思っている。それは、勉強しないでいいのではなく自分が理学療法士として関係性を求め、取り組むからこそ理学療法士として求められることが心底わかるのである。これからも、明鏡塾で関係性を磨いていきたい」というのがあった。
これは、私が「明鏡塾」で話していることでもある。
それを彼なりに、現場を通し、患者さんを通し獲得している言葉だ。
こういった素直な感性が珍しいので、「学生時代はどんな少年だった?」と問うた事がある。
彼は「先生の言うことをやっていただけ」と、サッカー少年時代の話をしてくれた。
この「言われたことをやる→やれる」という能力は、どんな能力なのだろうと思う。
同時に、そんな彼を見て「素直」だと思う。
その「素直」というのは、能力なのか才能なのかも突き詰めたいと思う。
もちろん、おぼろげには見えているが、何とか「誰でも」というところに持って行きたいのだ。
何れにしても「明鏡塾」を受講してくれる医療関係者の殆どは、間違いなく素直だ。
ここに来て、つまり、70歳を前にして、やっと嬉しくなる環境が出来た事に感謝だ。
しかし、一つ勘違いしないで欲しい。
「言われたことをする→出来る」というのは、「奴隷的に言うことに従う」というのではないことだ。
「言われたことが出来る」のは、それを行動する人間の「想像の範疇」あるいは、「潜在的な想像の範疇」だから「出来る」のだ。
ここを間違うと、真逆になる。