幼いからこそ使う言葉

100回目の「武禅」は、慌ただしく終了した。
最後のレポートを書く間も無かったので、送ってもらうことにした。
そろそろ、全員のレポートが揃うが、つくづく、「人は違う」ということを実感した。
体験、年齢や性別という事を超えての違いがある。

それは何が起因してそうなっているのか、そこはサッパリ分からない。
もちろん、私は学者ではないので分かる必要もない。
しかし、気になるところではある。

レポートに共通して出てくる言葉に「逃げる」がある。
もちろん、私もよく使う。
幼い自分と正対できない。
概ねそんなところだ。

どうも、私はこの言葉に引っかかる。
「幼い自分」つまり、自意識が成長していないという事だ。
ここをよく考えてみると、成長していないからこそ「幼い自分」という言葉を使っている事が分かる。
また「正対できない」というのも同じだ。
「幼い自分」という言葉を使うことで、自分は「幼い自分」より優位にある気分になれる。
つまり、自分を二重化させることで、自分自身を複雑化させているのだ。
ここが「幼い人」の特徴だ。
一方から見ると、幻想を現実に持ち込んでいるということだ。

そのように「人」というものが複雑化されて過程をレポートから読み取ることが出来る。
もちろん、それを分かったところで、何一つ解決出来ることはない。
「逃げる・逃げている」という言葉を使ったからといって、それを克服出来るのではないのと同じだ。
「分かってどうするんや?」だ。

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