一つ掘り下げてみる
その事が「その事に役に立つ」と、平面的というか一面的というか、そんな考え方を持つ人が多い事に驚く。
もちろん、今に始まったことではない。
つまり、「お習字を習ったら字を書くのが上手くなる」という図式のものだ。
そんな単一な考え方だけしか持たない人はいないと思い込んでいた。
だから、それを知った時は目を白黒させたものだ。
ワーク・ショップをやっている時、あるベテランのダンサーが「このワークをどうすれば、ダンスに役立てられるのでしょうか」と質問があったからだ。
それには残念ながら答えられなかった。
私の中では、それは自分自身が考えるべき問題であって、それ以外の考え方など持ち合わせていなかったからだ。
物事には「要素」がある。
私は「身体が目的を持ち動く」時の「動き」の要素を引き出して、教室やワーク・ショップ、そしてセミナーで展開している。
例えば、「胸骨操作」は、どんな運動にも役立たせる事ができる。
もちろん、とは言うが実際に役立てて来れた人、役立ててくれている人は、数える程しかいない。
現在では、フランスで武道に取り組んでくれている数人、競輪の選手や限られた数のダンサー、アスリートの一人くらいだ。
「どうして少ないのか?」
単純に難しいからだし、身体を動くようにするには時間がかかるからだ。
だから、その実数から考えれば、それ以外の人は単一思考なのだろうと気付けば良かったのだが、先程も言ったように、私の頭の中になかったから気づけなかったのだ。
もちろん、目覚ましい成果は無いが、人知れず役立ててくれている人も沢山いる。
もちろん、海外でも同じような質問が飛ぶ時もある。
「このワークをどう役立てれば良いのでしょうか?」
昨年のスイスでもあった。
若くは無い演出家だったので「はぁ?」とまず落胆を表現、次に「私はあなたの親ですか、自分の事は自分で考えなさい」と言った。
明くる日以降、その演出家はワーク・ショップに顔を出さなくなった。
「ガキか」だ。
11月18日から21日まで、大阪でのワーク・ショップです。
「何に役に立つのか?」を、自分で推理しに来てください。