理解で出来る事出来ない事

疲れがとれない中で、昨日は京都へ。
以前から声がかかっていた、フランス人のダンサーと演出家の為に、作品作りのアドバイスしに行った。
久しぶりに京都三条の駅に降りた。
その前に、一つボケみたいな用事の片付けがあった。
ある場所で、書面に訂正印が押されていなかったから、それを押しにいったのだ。
書面を作成した日係員が確認し、「これで大丈夫です」と言ったので、訂正印はいらないのかも、と思って帰宅した。
すると電話があり、訂正印が抜けているという。
何時もなら「ボケ!」と始まるところだが、疲れていたのでそれも面倒で、分かったと電話を切った。
そして昨日。
カウンターへ行くと、誰もいない。
声をかけると暫くして若い男性が「はい」と出てきた。
思わず「お前、何か俺に文句あるんか。それとも喧嘩を売っているのか」となる表情と声だった。
それも疲れるから止めた。
「訂正印が抜けてるそうやんけ」と一言。
それにも反応しない。
しかもその訂正印は、認めではなく銀行印でなければ駄目だという。
それは、電話の時には指示がなかった。
こちらは念の為にと用意していたから、間に合っただけだ。
公的な機関の窓口業務で、単純な業務は絶対にロボット化した方が良い。
窓口に行き、こちらの気分を害するような人間がいるよりも、「ロボットだから仕方ないな」となる方がましだ。
きっと、訂正印の事も、ロボットなら本当にマニュアル通り遂行するから、こちらも忘れないだろう。
「武禅」の後だけに、無表情で尚且つ表情の無い声だったから、こんな人間がいるのか、と驚いたくらいだ。
こんな人間が圧倒的多数になっているから始末が悪い。
もちろん、地域差はある。
ロボットの進化で、彼らは一体どんな職業に就けるのだろうと心配する。
我々日本人はのんびりしているから、そんな危機感も無いのだろう。
人間的であれ、そんな言葉は「理解」しているだろう。

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