判断を使うと遠回りになる
「本気」という状態。
「真剣に」という状態。
いずれも言葉になおせない。
状態だからだ。
昨日の「テキ屋」の兄さんは「本気で売る」という言葉を使っていた。
2005年ドイツ・フランクフルトのフォーサイス・カンパニーに招聘され、10年間ワーク・ショップを続けた。
私にとって新鮮な驚きは、カンパニーのダンサー達は「ダンスが好き」だったことだ。
当たり前なのだが、それが身体から溢れているからだ。
「本気」なのだ。
中でも、まるでダンスの神がいて、そのダンサーに神が舞い降りて来たのか、と思わせるほど美しい姿を見たことがある。
その彼等を見た時、「ダンスを好き」という言葉を多くのダンサー達は使っているが、残念ながら「思い込み」あるいは、自分を錯覚しているだけだと感じた。
彼等のような「ダンスを好き」とは程遠いからだ。
というより、全く世界が違うからだ。
彼等からはダンステクニックが見えるのではなく、ダンスが見えるのだ。
テキ屋の兄さんが、通り過ぎるサラリーマンの人に一言発すると、その人は立ち止まり話術の世界に引き込まれていく。
そして、あり得ないバッタ物を買って帰る。
テキ屋の人さんから「絶対に売ってやる」という状態が溢れていたのだろうと想像する。
この状態は、有る意味で「生物に近い」「動物に近い」ではないかと思う。
意識で作り出された、判断で作り出された「本気・真剣」ではないからだ。
その人がそのことだけになっている状態だ。
だからといって夢中なのではないし、熱中しているのでもない。
それらは単に独りよがりというのだ。
それは、その状態であれば、その場の変化に反応も対応もできないからだ。
だからといって、それを、つまり、「本気」や「真剣」を考えても仕方がない。
しかし、大方の人は、ここで足踏み状態になり、その事を考える。
考えても状態は作り出せない。
何度も繰り返すが、自分自身の状態だからだ。
テキ屋さんは、「本気で売る」という言葉を使った。
多分、その言葉を持ち、現場でどれほど工夫を凝らしたことか。
それは想像に難くない。
大事なことはここだ。
その事が、本気であり真剣という状態を開けるのであって、自分に足して行けば出来るものではないということだ。
夢々「判断を使って遠回りしないように」。
福岡ワーク・ショップ 9月16.17.18日
https://hbudotowak630.wixsite.com/realbodycontrol/blank