生きるということ

「先生ね、私はね『感謝』という言葉は持っていません。そりゃね、人さまから何か頂いたり、何かしてもらったら感謝しますよ。でもね、何か分からないものに感謝などしたことも無いし、出来ませんよ」
これだけ明確に「感謝を持っていない」という言葉を、公の電波から聞いたのは初めてだ。
画面の前で思わず大笑いをした。

書家の篠田桃江さんと、お亡くなりになられた医師の日野原先生との対談の一コマだ。
日野原先生が「生きているということに感謝」というようなことのお話を受けてだ。
お二人とも、20歳代で肺結核を患っておられた。
そして、お二人とも「死ぬのだな」と感じたそうだ。
当時の医療では、肺結核は死の病だ。
私が小学生の時でも、死の病だった。
学校の先生が肺結核で入院された時、「死」ということを想像したものだ。
それこそ、共通の出来事なのだが、捉え方の違いが浮き彫りになっているのが、相当面白かった。

敬虔なクリスチャンである日野原先生の口から出る言葉は、その宗教に由来している事がよく分かった。

そうお話になった篠田さんをフォローするように、「私と共通しているものがありますね」とおっしゃった。
即「いいえ、私と日野原先生に共通点などこれっぽっちも有りませんよ。先生はどちらかというと、神に近い存在です」
あくまでも、「自分」という世界を貫いている姿には、私如きが言葉を出せない。

そういえば、私自身の中に「感謝」という言葉はあるのか、と改めて問うてみた。
実は無いのだ。
というより、「生かされている事に感謝」には、何を血迷っているのかと嫌悪感さえ持つ。
何のことやら分からない事、分からない言葉は持ち合わせないようにしているからだ。

篠田さんのお話を聞き、自分の甘さに気付かせて貰った。

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