峠を越すまでの辛抱

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自分は自分が育てなければ、誰も育ててはくれない。
そんなことに気付いていったのは30歳を過ぎてからだ。

それは「技術」ということで気付いた事だ。
体操という技術、バーテンダーという技術、ドラマーという技術、武道での技術。
そういった「技術系」の仕事ばかりを選んでいたから、気付いたのではないかと思う。
もちろん、そういった技術系を選ぼうとは思っていないから、無意識的に、知らず知らずの内に、である。

よく考えると、技術というのは全て「自分次第」だ。
自分がやらなければ出来ないし、出来るようにならなければ出来ない。
だからそこに必ず「過程」がある。
その過程の中に、自分自身の本性が姿を現すのだ。

例えば、「こんなことをやっていて何になるのか」とか「出来るようになるのか」とか、「しんどいから無理」とか。
とにかく色々な自分が姿を現す。
そこを乗り越えるというか、次のステップを見据えるというか、気をそらすというか、とにかく、色々な手練手管を用いて、諦めないようにするのだ。

私は飽きっぽいので、何をやっても直ぐに飽きる。
逆に言うと、諦めが早いのだ。
多分、誰よりも早いと思っている。
だからこそ、「もうちょっとだけやってみよう」という言葉も持っているのだ。
だから、決して壮大な目的に対して、脇目もふらずにではないのだ。

ちょくちょく書いているように、中学3年生の冬、自転車で白浜温泉まで200kmの旅を計画した。
午前3時に家を出て約4時間、紀伊山脈の端の孝子峠に差し掛かった。
さすがにそこまでで、完全に気持ちが折れてしまっていた。
当時、南海電車と並行して走る国道26号線を、南下していったのだが、猛スピードの大型トラックに何度巻き込まれそうになったか分からない。
それと寒さで「次の駅まで行ったら帰ろう」「始発電車が動いたら帰ろう」と弱音を吐きつつ孝子駅迄来たのだ。

「和歌山に着いたら引き返そう」と思いながら、自転車を押しながら孝子峠を越えた。
峠の天辺で自転車を漕ぎ、和歌山市に向けて走った。
それこそ下り坂だから、ブレーキもかけずに突っ走った。
朝日が目の前に見えた時、「よっしゃ、白浜まで行ったる」と気持ちが瞬間的に切り替わったのを覚えている。

それこそ、どれだけ弱音を吐いても諦めるな、なのだ。
峠を越したら光明が差す、そのままの体験だ。
この自転車体験は、私の原点でもある。
自分がどれだけ弱音を吐く人間か、どれだけ諦めが早いか、そんなことが凝縮された体験だからだ。

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