分からないから続けるしかない

東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です。
定員が一杯になりつつあります。
申込みはお早めに!

http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop-1
分からないから、ひたすら続ける。
これは10代の頃からのクセだ。
何が分からないかも分からない。
しかし、直感の微かな働きを頼りにしていたのだ。
どうしてそうするのかも分からないが、分からないからやり続ける。
それがある時、芽を吹き出すのだ。
ある時というのは、ある時だ。
1年後、あるいは10年後。
芽が吹き出したらエンジンがかかる。
理屈で生きている人には、さっぱり理解できないだろうと思う。
分からないから続ける、分からないから止める。
そこにはそういう二つの選択肢がある。
気分が向いている事は、分からないから続ける。
もちろん、この「続ける」というところに意志的「続ける」という決断はない。
続けていた、が適切な言葉だろう。
私の人生は、常にそういった言葉だけだ。
しかし、ここには微かな直感が働いているのではないかと想像する。
どうして取り組んでいるのかも分からない。
人に聞かれると、最もな話をいくらでも展開するが、そんな事は毛程も思ったことはない。
他人に理解しやすいようにしているだけだ。
この本体としての「わたし」は、どうなっているのかはさっぱり分からない。
分かろうとも思っていないが、分からないから続ける。
だから続けているのだ。
生き続けているのだ。

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