真似る?ほんま?

東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop-1
つい先日、手本を真似ていて、いつになったらオリジナルになるのでしょう?と質問された。
成る程の質問だ。
しかし、それは真似ることで何かを成し得たことが無いからの質問だ。
だから、一つの答えは「やり続けたら分かる」だ。
本当は、それしかないし、「何時になったらオリジナルが」という意識がある限り、やり続けることも、やり続ける意味もない。
そういった事を考えないから看取り稽古というのだ。
やり続ける意味もない、というのは、その視点があれば客観になってしまうからだ。
つまり、分析的になってしまって、折角の手本が自分の手元に来た時は、ザルで水をすくったように抜け落ちてしまったものになるのだ。
そして、答えのもう一つは、すでにオリジナルなのだ。
真似ているのは自分だし、見取り稽古をしているのも自分だ。
つまり、どこまでいっても本当の意味では真似は出来ないのだ。
何をやっても、考えても、見ても、感じても、それは全部自分だからだ。
その自分から、自分という枠を取り外すのが真似であったり、型の役目なのだ。
という具合に、常に元に戻ってしまうのだ。

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