出来た、よりプロセス
東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop-1
世の中には、理解しなければならないことが沢山有る。
逆に理解しなくても良いことも沢山有る。
という大前提を、多くの人は考えた事があるのだろうか、と考える。
何よりも、自分にとって理解しなければならないことなのか、そうでないのかを考える。
あるいは、直感的に決める。
私は完全な実際主義の人間、つまり、自分が実際として何もかもが出来なければ気に食わない人間なのだ。
だから、まず行動から入る。
それは先入観を持たない為だ。
その事で起こる色々な事象が、取り組んだ事を理解させてくれる。
もちろん、色々な事象が分からない時は、その事象に似たような事を探す、あるいは、本を調べる。
例えば、私は熊野に建坪330㎡高さ12.5m、六角形の道場を建てた。
建てる時、色々なアドバイスを受けたが、実際としては棚さえ作ったことが無い。
だから、建築的アドバイスを受けても理解出来ない。
もちろん、ログの組み方も、肝心のチエンソーさえ見たことも無い。
ましてや、家の建て方も知る筈もない。
その状態からのスタートだった。
文字通りゼロだ。
しかし、文字通りのゼロだからこそ、やる価値があったのだ。
10年後、やっと住める程度の状態に仕上がった。
ここまでのプロセスの中で、どれほど貴重な事を学んだことか。
大事なのは、道場が建ったことではない。
「出来た」ことではなく、そのプロセスの中での葛藤は全て「私だけ」のものだということが、私にとって大事なのだ。
それが私を形成する一部、あるいは、物事の本質を考える為のヒントになるからだ。