理解できなければ消えてしまう

東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop-1
大阪ワーク・ショップに、やたらと「理解」という言葉を出す男性がいた。
しかし、その男性はこのワーク・ショップで貴重なものを手に入れていたのだ。
しかも、取り付く島もないワークだ。
当然、「自分が」考えなければどうにもならないのだ。
それを4日がかりで手に入れたのだ。
それがどれ程の価値の有るものなのか、彼はそれこそ理解していない。
もちろん、「何を」手に入れたのかも理解していないだろう。
多分、本にすれば云うに1冊になるくらいのことだ。
つまり、自分で自分が何をしているのか、ということを、本気で考えたことが無いということだ。
もちろん、現象的に、例えば、手に入れたワークであれば「目で聴く」だから、それをしていた、という事は分かるだろう。
しかし、それがどういうことなのかは、自分の手で深く掘り下げていない。
当然、その手に入れたものは水疱と帰す恐れはある。
ただ、この「目で聴く」は一人では出来ない。
その時一緒に組んだ男性は、物事を深く考えるタイプの人だ。
だから、望みはそこにしかない。
自分の手で手にいれたものは何なのか。
本当の意味で理解力が必要なのだ。
「出来た・出来ない」しかわからない人には、「それが何なのか」という物事の本質に触れる事は出来ないのだ。
何故なら「出来た」良かった!終わり、「出来ない」何だこれ?終わりだからだ。
しかし、この男性の人相や表情は180度変わった。
もちろん、驚くほど良くなったのだ。

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