だからどうする?

■福岡ワークショップは7月14.15日です。
http://d-codex.com/

今日を含めて2日間!
空きはありますよ!
とにかく、無条件に笑い転げた。
こんなことにはなると思わなかった!
最高。
表現塾での一コマだ。
正面向かい合いのエネルギーが低すぎるので、それをアップする為に何時ものメニューである、ジャンケン合戦から「ナマムギ合戦」へ、そして新種のもの。
これは沖縄でも、武禅でも取り上げよう。
という具合に、状況は創造力の母のようなものだ。
そこから考えると、状況が良いのか悪いのかは、創造力があるのか無いのかが決定するのであって、状況が自分の何か影響しているのではないのだ。
みるみる皆の顔が明るく華が咲いたようになった。
生き生きした人達がいる空間は、こちらの身体まで軽くする。
しかし何時も感じるように「人に何かを伝えたい」その気持ちが希薄だ。
それは福岡のワークショップが、という事ではなく、大方の日本人がそうなのだろうと感じる。
それは「安全」にドップリと浸っているところからくる、生命力の低下ということもある。
教育も含め、与えてくれるのを待つ態勢、という刷り込みが徹底されている。
というような原因があるだろう。
実際として、「だから今どうすればよいのか」と頭の切り替えの能力が育たないのだ。
しかし、ハンディキャップを持つ人の伝えたい、という気持ちは正常だ。
つまり、強い、ということだ。
そこにも原因があるだろう。
いずれにしても、必死で伝えなければ伝わらない、という体験が無い、もしくは少ないのだ。裏を返せば、それほど深い人間関係を持っていない、ということでもある。どうしても伝えたい、ようなものを持つ人生を歩いていないのだろう。
もちろん、伝える事が仕事の学校の教師も同様だ。
だから学校が面白くない、という言葉に象徴されるような事態になっているのだ。
それこそ、悪い意味での「適当に」という関係ばかりなのだろう。
もちろん、当人としては必死なのかもしれないが。
それであるなら、その程度の必死では、子供にも伝わらない。
社会は、伝わる、のが前提としてあるのではなく、伝わらない、が前提だと分かる必要がある。
必死に、というエネルギーは、完全に伝播する。
どんなパフォーマンスよりも、感情を揺さぶる。
何よりも自分の人生なのだから、という意識が必要だ。
胸骨と肘、縦系の連動、ねじれと、身体塾は定番メニューをした。
今日も、常連の一人が新しく受講してくれえいた。
明日からも常連さんが来る。
この週は、色々なイベントが重なって、皆忙しそうだ。
■沖縄キジムナフェスタ・ワークショップ
7月20.21.22日です。
http://hinows.ti-da.net/
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細がきまりました。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります

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