語呂合わせ

身体部位を熟知する、熟知している、というスタイルが発達した原因は、例えば、踊った人、あるいは、何かの作業をした人、アスリートの人の結果を分析したり、その人自身が語ったりだろう。
そこに医学的人体解剖知識が重なったものだ。
どうして人は、その人が語ったことを信じるのだろう。
そこが何時も不思議なのだ。
もちろん、語っている人が嘘を言っている、と言うのではない。
それは語っている人の印象であって、本当にそうかどうかは分からない。
また、解剖学的に分析してみた所で、分析できたことしか分からない。
つまり、何も分からないということなのだ。
しかし、人は、語った人の言葉を自分も知っている言葉だから、直ぐに重ね合わせてしまう。
それは分析されて出てきた言葉も同様だ。
例えば、膝を動かしたと語られたとしたら、「膝を動かした」という言葉は知っているし、自分のレベルで膝は動かせるから、納得してしまうのだ。
つまり、語った人を理解したのではなく、言葉の語呂合わせが出来ただけであって、何一つ語った人には近づいていないのだ。
人は、どうして他人と同じだと思いたいのか、そこが分からない。
ましてや、語った人は、何かしらの実力のある人だ。
つまり、自分とは全く異なった世界の人なのだ。
ということを、どうして理解出来ないのだろうか。
そこを目指すとしたとき、その実力のある人の、どのあたりのレベルが自分かを探り出すことだ。
9月の東京ワークショップは基本からみっちりいきます。
https://www.hino-budo.com/2011Tokyo-WS.htm

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