身体を意識から解放させろ
10年以上前になるだろうか。伊藤式胴体力を作り出した故伊藤昇先生のところにお邪魔した時、名前は忘れたがヨーロッパで活躍するダンサーを紹介された。
動きを見ていると、よく「動く」のは確かだが、目指す動きにはならないのだ。
よく見ていると、結果としての形になるように、途中で軌道修正を繰り返しているのだ。
例えば、aからbへ動くとすると、その過程のことを動きというのだが、彼女の場合、a地点があり、b地点という結果が良ければそれで良い、というもので、その過程が欠落しているのだ。
単純化して言えば、写真のaから写真のbへテレポーテーションしているのと同じなのだ。
私はこの時期くらいから、ダンサー達と出会うようになった。
その人達を観察していると、同じような人が沢山いた。
身体のパーツをいじくる程に、指定された動きや形から遠ざかるということが分からない人達だ。
分からない、というのは、その事が理解していないということだ。
つまり、目的を見失っているということでもある。
それは、武道に取り組んでいる人達の中にも沢山いる。
そういう人達のある共通点は、身体の部位の名称を熟知していることだ。
あるいは、部位に関しては非常に敏感だということもある。
敏感であるが故に、間違いを発見しやすいのだ。
しかし、部位の動きの間違いを発見出来たからといって、全体の正しい動きにはならない。
そこがどこでどう間違ったのか、知らないのか、習った先生が悪いのか、完全に勘違いしているのだ。
しかし、面白い事に、スポーツ競技で日本レベル、世界レベルの人は、そういうアプローチの仕方はしない。
もしかしたら、身体部位の名称を熟知しているかもしれない。
身体部位の違和感を誰よりも敏感にキャッチしているかもしれない。
しかし当たり前のことだが、そのことよりも、目的を達成することを優先している。
だから、全体としてスムーズな動きになるし、それは美しいし、力強い。
そして、当然素晴らしい結果に結び付くのだ。
自分の身体部位の敏感なことに囚われ、あるいは、名称に囚われ、それも頭に支配されている身体ということだ。
頭を満足させても、身体は満足しない。
9月の東京ワークショップは基本からみっちりいきます。
https://www.hino-budo.com/2011Tokyo-WS.htm