身体を操作しているのか、そのものをやっているのか。その違いが明確でないと使えない。

昨日の武道の為の身体操作の稽古で、「私の立ち姿というか歩き姿が美しいが、身体のどこを意識しているのか?身体操作だけであの姿にはならないのではないか?」という質問があった。
数年前、オランダ・アムステルダムでのクラシックバレエのワークショップ時の写真の事だった。

これを説明するのは難しい。

そもそも、身体操作が自分にとってなぜ必要なのか?からの問題だからだ。
必要だから練習もするし工夫もする、どんな事でも同じだ。

この写真の場合はクラシックバレエのレッスンの途中だ。
というのは、頭の先から足の先まで「クラシックバレエ」に浸っている状態なのだ。
つまり、身体操作をやっているのではなく、バレエをやっているのだ。

そこで重要なのは、意識が身体操作に向くとそれはバレエではなく体操か運動になってしまう。
だから、頭の先から足の先までバレエなのだ。

こういったレッスンというかワークショップというか稽古で難しいのは、身体操作とそのもの、この場合はクラシックバレエと同時にある事だ。
それの何が難しいのかというと、プロの方達は、身体操作の練習と本番での使い方を交互に繰り返すが、プロではない人達は本番という意識、つまり、どこで使うのかが明確ではない。

となると、稽古している事の自分のポイントを決められない。
そうすると全体としてぼやけたものになる。
だから、身に付くのが難しいのだ。

写真の歩きは、歩きなのだが舞台設定を完全に持っているから、あの姿になるのであって、それは「身体操作」という道具を上手に使っているということになるのだ。

どんな事も同じだが、興味を持っていようがいまいがその事だけを取り出す事が可能だ。
だから、混乱してしまうのだ。

自分にとって必要なのかどうなのか。
そこがポイントになってくるのだ。
もちろん、興味本位で取り出すのが間違いでも悪いのでもない。
そこを入り口として、どこか深い所へ行く可能性はある。
その意味で、何でもやってみる事が大事なのだ。

東京ワークショップは12月2.3.4日です。
https://www.hino-workshop.com/workshop-1

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