優先順位は好奇心が1番

昨日の12月14日は、昭和の子供達にとっては赤穂浪士の討ち入りだ。
TVもそんなドラマばかりだったような気がする。

とは言っても、当時は私の言えにはTVはなく、お隣さんで見せて貰うばかりだった。
そんな生活状況は、平成生まれの人達には、想像もつかないだろうと思う。
お隣さんの家で炬燵に入りながらプロレス中継を見る。
それが確か金曜日の日課になっていた。

そんな生活環境が、大人や知らない人とでも話が出来る素地を作ったのかも知れない。
「自分」という人間はどういう経過で出来上がったのかを考えるのも面白い。
もちろん、記憶は自分なりに美化されているので、何が本当なのかは分からないが、多分痕跡だけは本当なのだろう。

大方の若い人が体験していない生活環境や社会環境が、現在の私の素地を作っていったのだろう。
それが良かったのか悪かったのかは分からないが、言えることは、間違いなく逞しく生きる力は植え付けられたという事だ。

逞しく生きるというのは、自分で思い、自分で考え、自分が行動する、というごく当たり前の事が出来るという事だ。
その優先順位が、親のいう事、教師のいう事、大人のいう事ではなく、自分の好奇心が優先していたので、それ以外の指示は殆ど無視出来たのだ

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