関係の多様性が言葉や思考を作る

一体私は何を喋っているのか?と、とう瞬間が沢山あった今回のワークショップ。
もちろん、常に数人は笑い話程度に話が噛み合わない人はいる。
そんな時「私の喋っているのは日本語と違うのかな?」と、問うと思わず笑いが起こるが、今回は笑いごとではなく言葉が通じなかったのだ。
つまり、質疑応答がテレコになって噛み合わない。

それは年齢とは関係なくある。
そんな時、その噛み合わない人に仲間というか、自分が常に接している人達から、「それはどういう意味?」と聞き返された事があるのか?と、必ず聞く事にしている。
そうすると決まって「いいえ、有りません」と答える。
それは、その人の周りにいる人が、その人に興味を持っていないか、その人の話に興味をもっていないか。
あるいは、何となく合わす人だらけだけだ。

この何となく合わす人というのは曲者で、当人の自覚なく他人を無視している人達だ。
もしくは、自分の世界だけが世界だと思い込んでいる引き籠りだ。

言葉とはそういった相互関係の中で磨かれていくし、思考も関係の中で柔軟性を創り出していくものだ。
そこから考えていくと、自分が属する世界を幾つも持つ事が、それら関係の達人を創り出す基盤でもあると言えるのだ。

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