誇りは人生そのものだ
瀬戸大橋が架かった時、当時知り合った鳶職の人が「あの橋を架けたのはわしや」と自慢げに言っていた。
新幹線工事に関わって土木の人も同じ事を言っていた。
もちろん、その人一人が架けたのではない。
仕事に関わった人の一人だ。
しかし、その自慢げにというところに、仕事を成し遂げた誇りを感じる。
何にしても誇りを持つ人は、間違いなく強い。
腕っぷしの話ではない。
気持ちが強いのだ。
でなければ、色々な意味で過酷な現場を乗り切り、完成には至らないからだ。
そういった、建造物の下支えをする人達の持つ誇りが、現在の日本を作って来たのだ。
この「誇り」という心理は、別段学校で習ったものではない。
私自身の記憶の中にもない。
日本の一つの常識観としてあったように思う。
もしかしたら、これも「古い物は間違っている、あるいは悪しき習慣」という事で抹殺されたのかもしれない。
誇りを持てない人は、生きていてもつまらないのではないかと思う。
自分のやっている事に誇りを持っているから、やっている事と社会との関係を大事にしようと思う。
分かりやすく言えば「プロ」という自覚だ。
それがあるから、その腕を磨こうと考える事が出来るのだ。
もちろん、それはスキルではない。
スキルを支える自分自身そのものの自覚であり、自意識でもある。
そんな話が通じない人が本当に多い。
もちろん、若い人だから、という事ではなく、40代50代でも通じない人が殆どだ。
となると、自分が時間を費やしている仕事は、一体自分の何なのか?と考える。
もしかしたら、好きとか嫌いという範疇だけで選択しているのだろうか。
1970年大阪万博があり、地方から沢山の人が出稼ぎで大阪にやってきた。
その人達は、地元には仕事が無く大阪なら稼げると思って来た人達だ。
つまり、お金の為、生活の為だ。
好きでもない、どちらかと言えば嫌々だろう。
しかし、その人達は仕事に誇りを持っていた。
だからこそ、手を抜かず立派な建物が建ったのだ。
誇りは言葉を変えれば、仕事への誠意だし責任感でもある。
それが消えてしまっている現代。
もちろん、きっと誇りを持って仕事をしている人はいるだろう。
いや、いて欲しい。
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