生きているのは誰だ?
32,3歳の頃のライブ録音を引っ張り出して聴いた。
ライブを終わってから、何か物足りなさを感じたので、もう1ステージソロで行った分だ。
熱い、燃えている。
確かに物足らなかったのだろう。
「日野晃」だ。
確かに、観客やメンバーに向かっている。
自画自賛ではなく、客観的にそう聞こえるのだ。
大方の人は、ここが足りないのだ。
全ての人が「俺じゃぁ!」の筈だ。
生を受けて、この世に現われ、生きているのは間違いなく「俺」であって、他の誰かではない。
どうして、自分の「生」をまっとうしようとしないのか。
大声で「俺じゃぁ」と叫べないのか。
愚痴を言う暇が有ったら、自分を全うしよう。
それがなければ「関係」も何もあったものではない。
誰が誰と「関係」するのか。
間違いなく「自分が」だろう。
その自分が希薄なら、関係など起こる筈もない。
「武禅」では、ここがメインだ。
「生きているのは誰だ?」
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