ステレオタイプの受け取り方は危険

人種的差別発言かもしれないが、そう括ってしまうと、そこでの本質的な「歌わない・歌う」は、消えてしまう。

ズーカーマン教授が指摘する通り、「その生徒は歌っていない」のかもしれない。
もしその生徒が私で、その教授に学びたいとしていたとしたら「歌わない」は、音楽にとって致命的な欠陥を指摘されたということだから、徹底的に「歌う・歌わない」について食い下がる。
あるいは、昨日書いたように「じゃあ、教授のおっしゃる歌うを示して下さい」となり、その問題「歌う・歌わない」を掘り下げる。

しかし、生徒達も周りも「この発言は人種差別的なものだ」と受け取ったとしたら、永久にこの問題は、その当事者として解決の糸口が見えて来ない。

もちろん、その時の状況を知らないので、何一つ意見を持たないが、ステレオタイプの取り方は、往々にして「そこでの問題」を消してしまう可能性があるのだ。

 

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