ほんとに関係って分かってるの?
再開2回目の「武禅」、もう半分埋まってしまった。
「自分の姿や他人の姿を写真で見た時、誰も相手に向かっていない事が見えた。ゴッコをしているような感じだった。相手に真剣に向かうとは、どんなに難しいことかと改めて分かってくる。」
受講者のレポートの一部だ。
まず、自分の姿を見る。
写真や動画で見る。
そこに映るのが間違いなく自分だ。
そして、その姿を自分以外の他人は見ているのだ。
当然、この受講者のレポートのような反応を、受講者全員が持つ。
これでは「人と関係など出来ない」と分かるのだ。
少なくとも、「武禅」を受講しようと思う人は、そこに気付く感性はさび付いていないということだ。
だから、自分自身に危機感を持ち受講するのだ。
もちろん、年齢に関係はないが、学生では無理だ。
過去、大学生が20数人受講したが、残念ながら「学生」なので、つまり、一般社会体験が殆ど無いので自分を捉える目も、あまり育っていないからだ。
この、自分自身の写真や動画を見て、「何これ?」と思う人と思わない人がいる。
思わない人は、自分に問題を持たない人、特に人との関係に問題を持っていない人だ。
だから、「武禅」に来る必要などない。
逆に、そういう人は「武禅」を受講する人の邪魔になる。
それは、例えば「誰も相手に向かっていない事が見えた」というような、共通言語を持てないからだ。
自分は、相手と一生懸命に話をしていると無自覚的に思っているが、それを客観視した時、つまり、写真や動画を見た時、全く一生懸命ではなく、また、相手にも向かっていない自分をしる。
そこのショックが大きいほど良い。
そこから、自分自身に取り組む自分が始まるのだ。
決して「自分探し」というようなゴッコではない世界を、そのショックが自分を覚醒させてくれたのだ。
そんなドラマが2泊3日の間に、色々と起こる。
そのドラマに影響され、他の人もドラマを見る。
そういった「関係」も新たに生まれるのが「武禅」だ。
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