本気を体感した

それこそ、使用前・使用後ではないが、「武禅」の最後に行後の写真を撮るが、その顔付きがまるで違う。
全員目が鋭く、つまり、精気を帯びているからだ。
生き返ったという感じだ。

その原因は何か?社会的な事だけに視線が向き、自分自身に目が向いていなかったからだ。
生命体としての自分が、息を吹き返し始めたのだ。

何時もながら、全員がお礼を言い合う最後の姿は美しい。
大方の人がそんな「ありがとうございます」を忘れていたのだ。
そこに込められた他人に対する感謝の心は、相互に反応しあって美しく見えるのだ。

23日、長い様で短かったが、とんでもない体験を出来た事を、大変嬉しく思います」「人と関係することは、とても気持ちの良いものであることを体感した」と感想がある。

共通しているのは「一体感を得た事が不思議だった」と感想を書いていることだ。
世の中の風潮で、大方の人は欠点の指摘は殆ど体験がないのだろう。
だから、指摘が出来ないし、言われたことの受け止めが出来ない。

それは自分自身の姿が、他人からどう見えているのか、自分の行為が他人に不快感を与えているのかを全く知らないということだ。
23日、相互に駄目だしの連続だから、相当疲れる。
でも、単に一人の人から指摘を受けるのではなく、自分を除く全員が同じことを指摘するのだから、「そう見えていたのか」と自覚せざるを得ない。
その時に、では今までの人生では、他人に失礼な態度を取っていた、あるいは、全く自分の話を聞いて貰えていなかった、本気で生きていなかった等々と反省できるのだ。

それこそ、本当の意味での成長の一歩であり、変わる為の本当の入り口なのだ。

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