人生を快適に?

「人生を快適に過ごす」誰しも思っていることだ。
でも、それが叶わない。

ということで、例えば、人間関係がうまく出来ない、引っ込み思案だから等々、自分で認識している原因を探る。
結果、人間関係を上手にする方法や、引っ込み思案克服セミナーや方法を模索する。
そういった人生関連の本を読むのも方法だ。
しかし、それで叶う人もいるだろうが、殆どは叶わない。

一言でいうと、人生を快適に過ごす為の「方法は無い」のだ。
当たり前だが、人生というレッテルはあるが、その実際は雑多な日々であり、その日々は今回のコロナ騒動が起こったのように、変化に満ちている。
という言葉の如く流動的であり、全てが気分と同様に変化しているのだ。

そして、人生を快適に過ごしたいのは誰だ?
間違いなくその人自身の筈だ。
であれば、その人自身が自分自身の「何か(問題)」に気付かなければ、そしてそれを乗り越えなければ無理なのだ。

また、人それぞれというくらい、自分自身も含めて人は皆違う。
そして、社会と一口でいっても、実は一口のものではない。
社会を構成する企業にしても、それぞれに違う。
その違う人達や社会と、うまく付き合っていくのに方法など作れる筈もない。

そこで考え方を変える事となる。
しかし、これも方法であれば駄目だ。
「そうしたい」という欲求が湧いている事が条件になる。

その「そうしたい」も、自分自身の問題に、自分自身の力で気付く、ということが、そこにある条件だ。
「武禅」は、その自分自身の力で自分自身に気付く事を目的としている行だ。
だから「一の行」と命名しているのだ。

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