咄嗟のことに対応するから身体が出来上がる
先日、身体がムズムズするので道場に行った。
何故か息子も来ていた。
「ひまや」だった。
稽古をすると、さっさと仕上がっていく。
見ていると、上手に身体を使っている。
黒帯と組んで稽古をしていたが、微妙な違いを感じ取り、その意味での的確なアドバイスをしていた。
「何でやろ?」と考える。
結論は、小学1年生から中学3年生までの9年間、毎日私の動きを真似て来ているから、「見よう見真似」が染みついているからだろう、という事になった。
私が見本を見せ「これや、やれ」という言葉だけだ。
当然、「見る」ということが自然と定着したのだ。
でなければ、やったこともない動きをスムーズに出来る筈もないからだ。
ましてや「関係」という高度な反応が出来る方がおかしいのだ。
中学3年生の頃は、結構他流試合的な雰囲気を持った人たちが、道場を訪ねて来ていた。
もちろん「試合をしよう」とは言わないが、その雰囲気を持っている。
そんな時、そういう人達の相手を息子にさせていた。
「何でも良いから、息子を殴ってみ」と言う。
そういう人でも、最初は恐縮する。
何しろ相手は子供だから。
でも、いくら突きを出しても当たらないので、だんだんムキになる。
しかし、同時に「??」首をかしげる。
そんな体験も、息子は子供の頃に色々やらしていた。
もちろん、「当たる筈はない」という確信があるからやらせていたのだが。
また、私と稽古をするから受けを取るのが上手になった。
それが身体を操作する為の基本でもある。
どう転げるかがその都度分からないからだ。
咄嗟のことに対応するという身体が出来上がったのだろう。