出来たという通過点
どんどん違う問題が見つかる。
「出来る」とはそんなことだ。
「出来る」は終着点でもあるが、「通過点」でもある。
どこまで行くの?の答えは、問題が無くなる、あるいは、見えなくなるまでだ。
つまり、「出来る」と「通過点」はいたちごっこなのだ。
私などは、問題が山積しすぎて手をつけられない状態だ。
まるで科学者かと思ってしまう。
私達が知る世界には、確かなモノが何一つないから、全て「仮に」ということになる。
しかし、問題が見えるからそれを少しでも解決しようと考える。
身体の使い方にしても、武道にしても、まるで答えが有るかのように錯覚している。
「その時・その場」では、それが正しいかもしれないが、状況が変わるとその正しさがまるで間違いだという事になる。
そんな危うい状態が、私達が生活しているということだ。
そんな中で、何とか真理を見つけ出そうと深みを目指す。
悩み続ける。それがまた楽しいのだ。
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東京11月28,29,30日12月1日
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