お釈迦様の手の平
自分自身の判断基準はどこにあるのか?
それは知識であったり、体験で培った体感だったり、好き嫌いだろう。
決して客観的定規ではない。
もちろん、客観的定規は持ってはいるが、それを解釈しているのは自分自身なのだから、直接的に客観的定規ではない。
そんな事を考え出すと、結局人は自分の意識から離れる事は出来ないという結論になる。
また、その自分の意識という枠から出られないとも思う。
それが、孫悟空が気づいたお釈迦様の手の平だ。
しかし、この結論は私にとってはしゃくなのだ。
だから、もっと違う角度、切り口はないかと考える。
どうだろう、それは30年は考え続けていることになる。
意識と言うことに気付き、そこから思考を張り巡らせ、幾度となくこの手の平を抜ける道を見つけたと思ったが、深くなる程にここに帰ってしまう。
天の邪鬼の私としては、それがしゃくで仕方がないのだ。
そんな事が私にとって考える動機であり、生きる動機なのかもしれない。
そういった話も散りばめられたワークショップです。
楽しめますよ!