夏祭り
やたらと外が騒がしい。
祭りだ。
道路を封鎖し神輿が通る。
法被姿にワクワクする。
日本人やな、という感じだ。
昔は博多の山笠を、早朝から見に行ったものだ。
大阪の夏祭りは愛染神社から始まる。
私が小学生の頃、その愛染明王を祀る愛染神社の太鼓を叩いていた。
「日野くん叩いてみぃ」と言われ、太鼓を打つ大人に言われ叩いてみると「いけるで」ということで、大人たちに混じって奉納大鼓を叩いた。
この当時は、学校を休めたので、それも嬉しかった。
祭りが近づくと、太鼓の練習が始まる。
ソロバン学校を終えると一目散に稽古場へ駆けつけたものだ。
しかし、そのことで私に太鼓の素質があるとは思わなかったし、その後ドラマーになり息子が和太鼓をやるとも頭の片隅にもなかった。
ただ、音楽を職業にしようとは思っていた。
でも、それが音楽の専門の学校へ行くという発想には繋がっていなかった。
そういったことを振り返ると、「子供らしく」育っていたのだと思う。
遊ぶ道具、遊ぶ手段を知ったら、その事に夢中になる、ただそれだけだったのだろうと思う。
それが良いのか悪いのか、そんなことには興味がない。
ただ言えることは大人達に混じって、という位、子供と大人の違いが明確にあった。
明確にあったというのは、私が「大人になりたい」という思いを持っていた。
つまり、私を子供だと自覚していたということだ。
その中で自分が工夫をして奉納大鼓の居場所を取ったのは、無茶苦茶嬉しかったのは覚えている。
白紙の中から作り出していくことの面白さを、体感していたのだろう。