自分の人生なのだから

早朝から大阪明鏡塾へ。
トンボ帰りで東京でパッキング、明日はブリュッセルに。
東京公演の宣伝をしなければ、、、、。
頭はグチャグチャや。

自分のやっている、私で言えば例えばドラム、例えば武道がある。
その事で何かヒントがないかを探す。
しかし、「どんな役に立てたいのか」という具体的な何かが明確でなければ、ヒントを見付けようがない。

よく例に出す「強くなりたい」というような漠然としたことでは、本当に役に立つことを探せない。
それは、まず、自分にとって「強いとはどういうことなのか」を、明確にすることだ。
明確にすると、何が必要なのかが見えてくる。
ここに相当の時間と労力をかけなければいけない。

おおよそのまま、漠然としたまま一歩進むと回遊魚状態になってしまう。
それは自分自身が混乱している証拠でもある。

例えば、何か着るものが欲しいと思って、店に入る。
しかし、「どんなものを」が決まっていなければ、目移りして決められない。
それと同じだ。
私は、往々にして日常生活ではこれだ。
その理由はいたって簡単だ。
「どれでも良い」と思っているからだ。
そのことで労力を使うよりも、考えていることやっていることに労力を使いたいから、どうだって良い、にしているのだ。

とはいっても、店で売っているものは気に食わないから、どうだって良い、になっていることも多い。
店では、流行りのものしか置いていない、売れるものしか置いていないからだ。
その店独自の、という姿勢が、本当に少なくなっている。
「売れたらなんでも良い」という姿勢しか見えないのだ。

売れなくても、私の店はこのスタイルでいく、という気骨のある姿勢が無くなっているのだ。
もちろん、売れなければ店は潰れる。
これは当たり前のことだが、ここで「潰れないように」が目的になってしまった時に「売れたらなんでも良い」に日和ってしまうのだ。

逆に、自分のスタイルを絶対に維持する、貫くという気概が大事なのだ。
その事がお客さんに伝わった時、つまり、情熱が伝わった時、そのスタイルに特定のお客さんがついてくるのだ。
どんなことでも、自分の姿勢を作り出す事が大事なのだ。

自分の人生なのだから。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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